檻之
汰鷲
ORINOTAWASHI

生きるためにつくること

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作品をつくることを何よりも優先して生活している。今日は朝から名刺をつくりデザインを入稿して、午後からはパピエマシェの動物をつくった。今日はトラと猿をつくった。まだ完成していない。木で骨組みをつくり、それに紙を巻き付けて、テープで固めて、それで基礎のカタチができる。水で柔らかくした段ボールとお湯で溶いた小麦粉で固める。お湯で溶いた小麦粉は糊になる。段ボールで何重にも厚くしていく。ここ数日でキリン、ネコ、シマウマ、ライオンをつくった。基礎だけ。

今日ふと動物なんか、作ってどうすんだ? と疑問に思った。 そんなものどうすんだ? と。猿を木の土台に置いたら、疑問も消えて楽しくなってきた。土台がない動物にはウッドパネルにコラージュして背景をつくることにした。立体と平面による作品展示だ。やっていれば発見があって、その先がみえてくる。 いつもそうだ。

ぼくは作品をつくって生計が成り立つのか、わからないでやっている。毎日会社で働いている人に負けないように、やってみている。つまり、自らプロを演じてみている。もし、自分がプロだったら、どんな生活をしているだろうか。朝起きて、作品をつくって、昼飯を食べて、作品をつくって、もしかしたら、夕飯を食べてその後も作品をつくっているかもしれない。毎日締切に追われているかもしれない。 例えば、小説家になりたいひとが、漫画家になりたいひとが、ミュージシャンになりたい人が、世間に認められるより前に、自分でシミュレーションして、そんな風に生活してみたら、案外、自分が描くような生き方がつくれるんじゃないだろうか。仮にやってみて、駄目だったら、それは発見だ。なにが駄目だったのか検証ができる。

ぼくは、作品を売ってみて、反応を確かめて、それを制作に反映して、自分の人生をつかって実験してみている。成功する方程式なんかない。あるとすれば、考えるより先に、どんどんやってしまうことだ。

生きる芸術家たちの肖像

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タイトルは新しい本のコンセプトだ。と言っても、その前の本もまだ出てない。いま、とある出版社の返事を待っている。あとは、社長の決裁を待つだけ、とのことだ。タイトルは「生きる芸術」ぼくが嫁と2人で仕事を辞めて、始めたアート活動でどれだけやるのか、のドキュメントだ。

ぼくは3年くらい前から日記を書き始めた。最初は、やるべきことを忘れないためのメモだった。それからずっと続けていた。このホームページをつくってからも、別の場所に書いてきた。日記を書くことは自分との対話で、自分って奴は、もっとも扱いが難しい道具で、思うように動かすことができない。日記を書けば、少しだけ目的がクリアになって、動きがよくなる。そんな自分をプログラムするためのシステムが日記だ。

「生きる芸術」というコンセプトを旅をしながら制作した経験からつくりだした。それはザンビアでのことだった。家をつくることや、野菜を育てること、日々を生きること、それを超える芸術はないと感じた。ぼくがこれまでイメージしてきた芸術とはほんの数百年間のことにしか過ぎなかった。人類はもっと長い歴史を持っている。その全体を貫くような芸術とは何かを考えるようになった。それで「生きる芸術」とした。それは、人生をつくること。つまり生きるための技術だ。これを追求することは、つまりぼくが自分の人生を全うすることだ。それ以上の生きる芸術はない。それを伝えるための手段が書くことだ。ぼくは、音楽やアートや小説や映画が好きだった(いまはもう少しカテゴリーが狭くなっている)。そのなにが好きかと言えば、その伝説が好きだった。それをつくっている人たちの生き方だ。作品と作家の人生は対になっている。必ずではないしろ、ぼくは、そうやって芸術を知った。だから、単純に自分の興味の向くままに、自分の声に耳を傾けているうちに、こうなった。とても自然なことだった。

本が出るという、ひとつの目的をクリアできるのであれば、そこから先は、また新しい冒険がスタートする。作品をつくるという行為は、日々の延長でしかなく、それは1年とか10年とかの時間の区切りのようなもので、人生という作品には及ばない。ぼくは、生きて作品をつくり続けて、「生きる芸術」を完成させてみたい。

今日は、神奈川県の藤野市に次に参加するイベントの下見にいった。戦時中に芸術家が疎開したことから、アートに拓けた土地になったそうだ。以来、いまも芸術家たちが集まってくるそうだ。そんな土地にある旧小学校をリノベーションして、芸術家たちの工房として利用している場所がある。そこで開催されるイベントに出展する予定だ。そこにいるひとたちにインタビュー的に話を聞いてみた。

OVERHEADSという映像集団をつくったスケさんの話を聞いた。80年代の終わり~90年代の初頭にかけて、ライブイベントからダンスミュージックの波が日本に上陸したときの体験を話してくれた。まだ誰も踊り方を知らなかった頃の話だった。

そのあと、校庭で竹を切っているひとに話しかけてみた。そのひとはGENSHOさん。空間デザイナーというのか空間をつくるひとだった。軽のバンにすっかり納まるサイズに折りたためる家具をつくっていると話してくれた。日本を旅したいと考えているので、興味あると伝えるとブックをみせてくれた。自分がつくった家具の本とプロデュースした店舗の内装、イベントの空間演出の本だった。つくるのが好きでたまらなく、それ以外はもうできない、だから、ずっとそればかりをやって生きている、というような人にみえた。GENSHOさんは言った。「藤野には、そんなクリエイターがたくさんいるよ。」

ぼくは、「生きる芸術」を表現するための次の本を書くことを決意した。「生きる芸術家たちの肖像」だ。生きる芸術家たちは、そこら中にいる。それは、まるで、まだ発見されていない宝物のように。ぼくには、たくさんの宝物が発見されるのを待っているようにしか見えない。

だからぼくは、ぼくで生きるために手段や方法を問わずにつくり続けることだ。そう考えたら、ここに自分のアイディアから経験から、すべてを書いてもいい、と思えるようになった。なにせ、ぼくは生きながらにして表現しているのだから。

やるべきことは、そんなにたくさんなくて、毎日を少しづつクリエイトしていく、そのリズム感に生きる芸術が宿るのが少しづつ分かってきた。
—————————–
・毎日、パピエマシェの動物をつくる
・アクリルマウントした作品をつくる
・名刺をつくる
・空き家の改修アイディアをまとめる
・英語をやる
・ストレッチとランニング
・お金をつくる
—————————–

限界を超えろ(2014.10.19)

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週末、静岡の城山にクライミングにいった。通っているボルダリング・ジムのレッスンで初めて岩壁を登った。ボルダリングは、岩を道具を使わずに身体ひとつで、難易度に挑戦していく。岩壁を登るのは、いわゆるクライミングで、ロープを命綱にして、先へと登っていく。

いつもなにかをやるとき、奇跡的にうまくやってのける成功をイメージする。実際にやってみると、現実はそんなに甘くないことを知る。岩壁を登るのも、ロープで繋がっているとは言え、落ちても大丈夫だと言われても怖かった。それは予想以上だった。最初のトライは、途中で足が震えてしまった。
コースを先生が2つ用意してくれた。ひとつ目は、難易度が高く、途中で諦めた。もうひとつは、少し優しい、それでも10m以上はあるコースだった。
すでに、ほかのひとはクリアしていた。だったら自分もできるだろうと考えてトライしてみた。
実際に登ってみると、距離があるので、体力を消耗した。核心は、コースの最後にあった。無理なような気がした。でも、もう一度ここまで登ってくることを考えたら、ここでクリアしておきたい。全身のチカラを出し切って、ようやく登ってみると、ゴールはまだだった。下からは、見えないかったし、それは眺めているだけではわからないことだった。
一手ずつ確かに確保して、足場をみつけて、進んだ。駄目だったとしてもロープがある、落ちても大丈夫だ、ようやくこの時点で、そういう気持ちになれた。腕はパンパンで足もガクガクしていたけど、なんとかクリアすることができた。
やってみると、久しぶりに自分の限界を超えた気がした。クライミングは自分と向き合うスポーツで、それが好きだったはずなに、いつの間にか、限界を超えるチカラを出すことを忘れていたことを実感した。
限界を超えろ。

所有しないアート(2014.10.12)

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高校の同級生の結婚式があった。そこで、絵をよくかってくれる友達に会った。最初に作品を買ってくれたのも彼だった。所謂パトロンに近い存在。お金を持ちだ。

そんな彼が「所有をやめようと思う。」と言い出した。
驚いた。彼は、旅をしたいと考えていた。お金持ちという身分、もっと正確に言えば、お金でビジネスをして成功した彼は、業界経験も長くなり、そろそろ自分自身を生きたいと考えているようだった。クレジットカード1枚で世界を旅したい。いろんな女性と出会いたい。

最近、出会う人のほとんどが、経済優先のライフスタイルからシフトチェンジしようとしている。そんな状況のなかで絵をつくって売るというサイクルに疑問を持つようになった。作品をつくって売っている身分の人間が、そんなことを考えては、本末転倒だが、だからこそ、考えるべきことがある。作品のモノとして強烈な存在感。それに抵抗できなくなったとき、ひとは所有したいと考える。しかし、所有しない、ライフスタイルに転向しようとする人たちに一体どんなアートを提案できるのか。

展示をしたとき、「NYでカタチのない絵が売れた。」という話を聞いた。裸の王様のような話で、絵のない壁を指して、この絵は、幾らです。と作家が作品を発表し、ギャラリーがそれに値段をつけて、買ったひとがいたらしい。バカみたいな話だ。

絵を売らないなら、一体どんなカタチで表現をお金に変えていくことができるのか。来年に向けた空き家を改修して住むプロジェクトのミーティングが昨日あった。ついにオーナーから、予算や方向性についての回答を得た。実行に向けてのプランを具体的につくることになった。2月まで実践して、そこを一区切りとして、継続するかお互いで判断することになった。それまでの期間、一定の報酬が出ることになった。クリエイティブがお金に変わった瞬間だった。価値が生れた。

ぼくは絵をつくることが大好きだ。まだ無いところからイメージが生れカタチになる、その表現が好きだ。そこに原点があって、いろんなカタチを表現することができる。形式や方法は問わない。ただ、単に自分が満足するだけの表現だったら、そこに価値は生まれにくい。共有できる喜びや体験があって価値がうまれる。どっちの方がいいという比較はできないから、やりたいこと、頭に浮かんだことを行動してみるだけだ。考える前に、手を動かしてやってしまう。やってしまったことは、取り返しがつかないし、そこにカタチがあるから、それをただ受け入れるだけだ。

所有することについて。これは、面白い冒険のキーワードになりそうだ。

バターが売っていない

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物語がぼくを捕らえて離さない。そんな気持ちになるのは、どれくらいぶりだろう。

この文を書いているうちにも、次の続く言葉は、どんどん枝別れしていく。瞬間の選択に、物語が宿って消えていく。
ボルヘスの「砂の本」を読んで、久しぶりう「もひとつの世界」とリンクした。キャメロンディアスが出演している映画「The box」と、園子温の「愛のむきだし」をたまたま見た。映画は、偶然みてしまうのが最もエキサイティングだ。あらすじの一片すら知らない状況で、まるで道で誰かと遭遇するように。
物語に引き寄せられながら、ひとつのドキュメントを終わらせなければならない。本「生きる芸術」の最終章を書いている。終わりに近づいて始まろうとしている。「Before After The End」だ。
朝はパンを食べている。先日、絵を渡しにいったときに粗食に関する本を2冊貰った。そこには、日本食こそが日本人に適していて、季節のものを食べるのが最も健康によい、と書いてあった。
最近はバターが売っていない。調べてみると、昨夏の猛暑で乳牛が不足しているらしい。農林水産省は緊急輸入を決定したらしい。このことひとつ取っても日本の社会状況を読むことができる。しかし、悲観して、言葉を貪るのは、ぼくのクリエイティブではない。
考えなければならないのは「つくること」と「生きること」だ。もっとも人間の根源に関わることだ。昨日、電車のなかで、どうしてもっと早く、このことに気がつかなかったんだろうか、と残念な気持ちになった。でも、もっと若ければ、アルバイトなどしながら食い繋いで、作品をつくっていただろう。このタイミングだから、こうして取り組んでいられる。
ぼくがいまやりたいのは、作品づくりを通した自給自足みたいなことだ。ぼんやりだけど、雇用も生み出したいと考えている。簡単に言えば、起業だ。たくさんの人が実現している。そんな当たり前のことを、今更やろうとしているだけのこだ。自分が飯を喰うのさえやっとなところから。
こうやって、浮かんで沈まないアイディアを拾って、実行することは、まるで、あらすじを知らない映画のようだ。自分で自分の人生という物語を紡いでいる。しかし、物語は、いつだって残酷で驚くような方向に進んでいくものだ。それは科学では、説明しきれない、神秘的な運命といものに、裏書きされているのかのようだ。監督・脚本・撮影は、運命。物語に捕らわれるとき、いつも宇宙的な、決して抵抗できないプログラムを感じる。
ほんとうの現実は、バターは売っていて、ぼくは、既に、バターが売っていない、という物語の方に足を踏み入れているのかもしれない。

生きるために必要なこと(2014.10.10)

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名古屋の空き家を改修して住むプロジェクトのミーティングをした。日本には820万戸の空き家がある。それでも、新築の家は次から次へと建てられている。価値はまるで新しいものにしかないように。

ぼくはザンビアで、電気・ガス・水道のない生活をして、泥の家を建てて、価値感が変わった。ぼくが特別な体験をしたのではなく、そういう選択肢があることを知っただけだ。東京に生まれ育ったぼくにとって、この街は不自由ないが、逆にモノが溢れ過ぎていて、過剰に反応してしまう。嫁と2人で作品をつくって、アート活動で生きていこうとするぼくらには、なかなかハードル高い。アート活動で生きていくとは、生計をたてることだ。家賃を払って、保険料や税金を納めて、公共料金を支払って、2人で20万円は必要になる。毎月だ。そもそもの暮らしを成り立たすことが、できるかどうかのぼくらが、さらに家のことまで考えるなんて、この日本では身分不相応だ。しかし、ザンビアでは、家は、食べ物を手に入れるのと同レベルで、生きるために必要不可欠な要素だった。

そこで注目しているのが空き家だ。余って困ってしまうほどの家が日本列島にありながら、それを利用できないでいる。なぜなのか。簡単に言えば、ぼくたち日本人は、家を直したり、建てたりする技術を持たない。ただ歴史を遡れば、そんなことはなく、村人みんなで協力して家を建てていた時代もあったようだ。

名古屋の空き家は、オーナーがいて、古くなった持家を改修して、再び使えるようにしたいと考えている。でも業者に頼むと1億円を超える経費がかかってしまう。そこで、アーティストやクリエイターが、改修することで、よりクリエティブな建物に変わり、しかも、参加した人たちには、家を直す技術が手に入るというプランを捻り出した。ミーティングでは、どう実行していくのかプランをつくった。あとはオーナーに伝えてOKを貰うという段階にきている。

名古屋の空き家を改修するということは、ぼくらは名古屋に引っ越すことになる。東京の住まいはなくなる。改修が終わったら、ぼくらは何処に住むのか。ぼくらは何処にでも住むことができる。しかし、それを実現するには、荷物を処理しなければならない。先日、ボルヘスの本を読んでいたら「本は何度も読み直すものである」と書いてあった。なるほど。読むかもしれない本が本棚にびっしり詰まって、それを眺めて満足している自分に気が付いた。であれば、処分しよう。そう考えて、本棚を整理し始めた。お気に入りの本はもちろん、なかには、20000円の価値がある本もある。しかし、市場価格20000円でも、それを実際に販売できなければ、その価値はないに等しい。それに気がついて更に驚いた。じゃあ、自分に可能性があるとして、その可能性をカタチにできなければ、それはないに等しい。

ザンビアに再び行きたいと、考えていたら、ザンビアの友人からメールがきた。「鉱物探検を始めたよ。たくさん鉱物をみつけて、お金に変えることができるようになった。興味ある?一緒にやらない。」と。仮にザンビアで鉱物を手に入れても、販路がなければ、ぼくらは生きていくことができない。

生きていくに必要なものがなにか。ヒントをみつけた。ぼくは、販路を構築しなければならない。生産と販売を結びつけるルートをつくることだ。

走りながら浮かんできたこと(2014.10.9)

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とぐろを巻く思考を穴ぐらから追い出す方法を教えよう。走ることだ。

頭のなかをあーだ、こーだ、巡る、それが、走るなかで、単純化されていく、今日ぼくが捕らえた蛇は、「変容トランスフォーム」についてだった。ぼくは変身したい。子供の頃から、テレビや映画で活躍するヒーローのように。いまだって。バカみたいだけど、誰が無理だと決めた?

簡単なことだ。想像してみれば、いい、どんな超人になりたいのか。ぼくはシャーマンに憧れる。音と一体化し、異界と身体を通じてコンタクトする、中心となる宇宙の心から発せられる音に耳を傾け、己をメディアにして言葉を発する。音に身を任せ自由に踊る姿が見える。

サウンドシステムの前で、バカになって飛び回りたい。だから、仮面が欲しい。ぼくは、君の狂気が見たい。

モノ語ること(2014.10.8)

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宇宙からみれば、地球が始まり終わることも一瞬に等しく、地球からすれば、文明が栄え滅びるのもまた一瞬に等しく、ひとりの人生からすれば、一日は数えるに値しないのか。誰がそう言うのか。

今日は、午前中に出版するかもしれない本の修正原稿を受け取りに恵比寿にいった。その後、昼を跨いで五反田に作品を買ってくれた人に渡しにいった。作品は、ザンビアで建てた泥の家の写真だ。その人は、作品を見るなり「買うよ。」と言ってくれた。理由を聞けば、ザンビアで日蝕があったとき、亡くなったお父さんの遺骨を埋めてきたそうだ。それっきり、ザンビアに行くこともなく、ずっと気になっていて、この作品を見たとき、オヤジを思い出して、と購入の理由を語ってくれた。

五反田の改札で、展示に来てくれた友達に遭遇した。「いや、よく会うね。」こうして約束することもなく会う人とは縁がある。これから何度でも会うだろう。

池袋でボルダリングをやって、夜、家に帰宅した。夕食はサンマだった。大根を摩り下ろして食べた。どっちも旬の食材だから、すぐに食べてしまった。お酒を飲まなかったので、食事の後は、ほぼ完成している作品の仕上げをした。

展示が終わってからは、作品をつくるしかやることがない。これがわかってよかった。夫婦で作品を一緒につくっているから、制作中はミーティングになる。ぼくら夫婦は、地方に移住して空き家をリノベーションしてみたいと考えている。木工の技術も経験もないのに。しかし、そんなぼくらにチャンスをくれる人が現れた。名古屋の空き家だ。そのプロジェクトをどうしたら実現できるのか話しながら、東京に暮らそうとすると、どうしても、経済的な安定を求める自分がいることに気がついた。どうやったら人生を冒険することができるのか、話し合った。わかったのは、2人ともまだ安定したいとは思っていなかった。恐れることはない。

作品が完成すると、お風呂を沸かしながら読む本を探した。久しぶりにボルヘスの「砂の本」が目に留まった。風呂に浸かりながら最初の短編を読んだ。不思議な気分になった。ぼくは思い出した。いつかの山のなかで出会った老人のことを。もしかしたら、あの老人は未来の自分だったんじゃないだろうか。老人は70歳だった。ぼくはまだ30歳だった。まだ絵を描いたり、小説を書き始めた頃で、誰にもそれをやっているとは言えなかった。老人は、ぼくが何をしているのか、と質問した。ぼくは仕事の話をした。すると老人は、そんなことを君はしたいのかね?と尋ねてきた。ぼくは「ええ、音楽が好きですから。」と答えた。老人は、「真っ暗な森を指さして、君は森の向こうが見えるかね?」と言った。ぼくには何も見えなかった。だから、その通りに答えた。すると老人は、「君はどうして、そんな簡単に見えないと判断するのだ?よくみてごらん、いろんなものが見えるはずだ。見えないものの奥に見えるものだってあるんだ。君はもっとそういうことを信じないと駄目だ。それにもっとやりたいことがあるはずだ。よく考えてごらん。」

まるで老人は、ぼくに暗示をかけるように言葉を投げてきた。ボルヘスの短編ひとつで、忘れかけていた物語の扉が開いた。ほんの僅かな一日という、取るに足らない瞬間の出来事だった。

ある夫婦の冒険と作品

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日時:9月27日(土)~10月3日(金)
檻之汰鷲(おりのたわし)個展「ある夫婦の冒険と記録」
場所:代官山UNICE (営業時間11:30~24:00)

馬9行(うまくいく)-Nine horses go on

この世の中には、言葉で説明できないことがたくさんあります。
ぼく自身のみならず、すべての人間が生れてきたこと、
どうして人間がいるのか、それもわかりません。でも、
この瞬間にも、世界中の至る所で人間は生きているのです。
ぼくら夫婦は、なにかが「生れる・起こる」そんな偶然に、
芸術を感じずにはいられません。

 すべての作品は、ぼくらの夫婦が2人でつくった子供です。
その子供たちが、作品を見た人や触れた人に、
ちょっとした奇跡を起こすのが、楽しみで、
それは、愉快なイタズラのような魔法です。
そこで、今回は、みなさんの人生が、「うまくいく」ことを願い、
この作品をつくってみました。

9月27日(土)から10月3日(金)まで、
この新作から、スペイン、イタリア、ザンビア、
エジプト、モロッコに滞在して、つくってきた作品の十数点を展示して
東京代官山のレストランUNICEで
「ある夫婦の冒険と作品」と題して個展を開催します。
会場はレストランですので、座って食事をして、
コーヒーなんか飲みながら、ゆっくり鑑賞できます。

また10月3日(金)の夜には、クロージング・パーティーも開き、
そこでは、旅の体験談をトークしたり、
オークションにも挑戦してみます。
10月3日(金)20:00~
クロージング・オークション・パーティー
・檻之汰鷲(おりのたわし)トーク「生きる芸術」
・オークション by Suepon+DJ Yashit
・MUsic by DJ SARASA,Mr.B

代官山UNITのイベント・スペースもつかって、
所縁ある音楽家たちのパフォーマンスも楽しめますので、
どうぞ、みなさん足を運んでみてください。

行き方/ACCESS
代官山UNICE

自然と偶然がつくりだすもの

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これはザンビアで子供がつくったコラージュ。
このようにコラージュは誰にでもやれる。

イメージを無意識に結びつける。
Collageとは、フランス語で糊付けの意味だ。
ぼくの作品は、ほとんどこの手法でつくられている。
だから、ぼくの作品は「絵を描いた」のではない。
だから、ぼくは作品を「つくった」と言う。

描くとは、そのカタチを写し取ること。
コラージュは、そのカタチを表すこと。

コラージュは、偶然が材料だ。
それはまさに自然だ。

ぼくは作品をつくるとき、意図を超えたい。
自分がイメージした以上のものを期待する。
自分が驚くような作品。
それは、この地上に自然がつくるカタチだ。

ぼくは自分の作品をそんな風に思っている。
だから「コージュ・アート」と定義するなら、
それは、自然的な発生に委ねる手法だ。

だからぼくは人生をアートでつくってみたい。
——————————
This artwork was made by a Zambian Kids.
Like this, Collage is easy thing for everyone.
It is combined to image by unconsciousness.

Almost my artworks are made from this way.

Therefore, I don’t drawing.
Always, I say I made my artworks.

To draw is trace from image.
To collage is create by happening.
It is natural like a this world.

When I make an artwork,
I want to go over my own image.
I would like to see an artwork which  is surprised by myself.
It  is shape that is made from the nature.
In brief, collage art is nature.

therefore Collage is life.