檻之
汰鷲
ORINOTAWASHI

毎日の仔細な出来事を引用し編集するヒップホップ

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今日は起きてすぐ、ストレッチをして、パンとコーヒーでいつもの朝を迎えることができた。こんなことをわざわざ、書いてと笑う人もいるだろう。でも、いつもの朝を迎えられた事実こそが、素晴らしい一日の始まりだ。
英訳したプロフィールをNYのギャラリーに送ったら、グループ展の誘いが返ってきた。ぼくらはこのギャラリーのお客さんだ。NYにいきたい、この街で活動したいアーティストを対象にビジネスしている。需要と供給が一致した訳で、だからぼくらは、このギャラリーを利用している。

午前中いっぱいは、昨日に引き続きパピエマシェづくり。昨日は猿が自分的に大ヒットだったので今日は、人間をつくることにした。人間も動物。人間は、弱いから文明を発展させたと話しを聞いたことがある。それは確かだ。ぼくも弱くて困っている。思い通りに自分を動かせれば、どんなに人生を過ごしやすいか。チフミと人間の人形をつくりながら、毎日8時間を制作につかうことができるか話し合った。ぼくは労働が嫌いだ。ひとに言われたように動くのが嫌だ。そんなことを言っているから、いまのように自分で仕事をつくらなきゃいけないハメになっている結論、毎日8時間の仕事をすることは、なかなか難しい。ぼくは、そんな抵レベルの人間だ。

猿が上手くいったので、人間をつくってみた。ポーズをどうしようか考えて、ブレイクダンスの動きにした。裸の男と女が踊るブレイクダンス。ポーズをつくるうちに、その身体のカタチがグラフィティと一致することがわかった。ヒップホップがここにみえた。ヒップホップは、そこにあるものを駆使した究極のアートフォームだ。楽器がないから、レコードプレイヤーで音楽を鳴らしてパーティーを始めた。場所がないから団地の公民館をつかって。盛り上げるために誰かがマイクで煽った。それがMCだ。踊りに熱中するひとが現れ、その熱を冷まさないためにレコードのブレイクの部分を繰り返すために、ミキサーが使われるようになった。そんなことを考えながら、2体の人形をつくった。

夕方に、作品を渡すために渋谷にいった。DJ Sarasaに会った。彼女は、先日の展示会でDJをしてくれた。ギャラの代わりにスキルトレードをしようと申し出てくれた。素晴らしいアイディアだ。その作品を渡しにいった。ちょうど、ブレイクダンスの人形をつくっていたので、自分のなかでは、今日という日がヒップホップだった。Sarasaは、ここ2年くらい注目して応援してくれている。感謝だ。彼女は、それこそ、ヒップホップというフィールドでは、第一線で活躍している。彼女は自分でマネージメントして活動している。つまり、生きる芸術をつくり出している。
DJは、誰かのつくった音楽を流すという表現だ。だから、誰でもできることでもある。でも、彼女のように生活を支えるほどになるのは難しい。DJの良し悪しは瞬間で決まる。そのひとの音を出した時に、伝わる何かによって。ぼくは2曲で伝わるものがなかったら、そのDJに対する興味がなくなる。彼女は1曲だといった。DJのパフォーマンスは、結局、音は空気だから、その空間をつくることに繋がる。間の取り方、仕草、リズム。Sarasaは一緒に何かやろうと言ってくれた。

2時間ほどお喋りして、駒沢大学にあるボルダリングのジムに移動した。ジムに展示のために借りていた作品を返却した。オーナーは、檻之汰鷲の作品を気に入ってくれた。また買いたいと言ってくれている。新しい作品ができたら見せる約束をしている。こうしたひとつひとつのやり取りもまた、DJのようにパフォーマンスだと感じる。ジムでは、新しい靴をオーナーが用意してくれていた。ボロボロになっていたので、買い替えることになった。試し履きをしてお買い上げすることになった。2万円。いま最もお金をつかっているのがボルダリングだ。ジムに毎月1万3千円。外岩にいく交通費や食事代。なんだかんだで4万円。毎月使うお金としては、ほかには人に会うための交通費。作品を売ってもどんどんお金は消費されていく。明日も作品をひとつ売りにいく。綱渡りだ。

こうして生活してみて、昔の小説家や画家がギリギリで生きていた感覚を実感する。誰もが不確かないまを生きて、自分の芸術をつくっていた、書くこと、描くこと。それが何のためなのか、答えてみたい気がする。自分の場合は、労働が嫌いで、快楽に浸っていたい、という恥ずかしい理由が、浮かんでくるのがいまのところ。

クライミングジムから、用賀に移動して、次の作品を返却しにいった。古くからの友人で、空き家プロジェクトに興味を持っているので、その話しで盛り上がった。プロジェクトの要は、彼のような人間が参加できる環境をつくることだ。プロジェクトのゴールを段階的に設定してクリアしていくこと。また、魅力ある人間が関わっていくことで場所は、呼吸をするように、再生していくはずだ。手を上げる人間に機会を与える。

Sarasaと、最近は、行動にするひとが少ないと話した。ネットの情報を拾って「いいね」となるが、実際に足を運んだり買ったりすることが少ないと。これはマーケティングの話しだ。たった2曲でオーディエンスの心を掴むDJのような、パンチ力が必要だ。例えば新しい作品を誰かに見せたとき、その魅力に抵抗できない魔法のような、その力は、マーケティングという意味では、自分が考えるより、もっと強烈なチカラで放たなければ伝わらないのかもしれない。それは事件だ。事件を伝えるのが報道。芸術が起こした事故を報道して事件にすること。それが今日みつけた技術だ。それは、毎日の仔細な出来事を引用し編集するヒップホップでもある。

2時間ほどお喋りして、駒沢大学にあるボルダリングのジムに移動した。ジムに展示のために借りていた作品を返却した。オーナーは、檻之汰鷲の作品を気に入ってくれた。また買いたいと言ってくれている。新しい作品ができたら見せる約束をしている。こうしたひとつひとつのやり取りもまた、DJのようにパフォーマンスだと感じる。ジムでは、新しい靴をオーナーが用意してくれていた。ボロボロになっていたので、買い替えることになった。試し履きをしてお買い上げすることになった。2万円。いま最もお金をつかっているのがボルダリングだ。ジムに毎月1万3千円。外岩にいく交通費や食事代。なんだかんだで4万円。毎月使うお金としては、ほかにはひとに会うための交通費。作品を売ってもどんどんお金は消費されていく。明日も作品をひとつ売りにいく。綱渡りだ。

こうして生活してみて、昔の小説家や画家がギリギリで生きていた感覚を実感する。誰もが不確かないまを生きて、自分の芸術をつくっていた、書くこと、描くこと。それが何のためなのか、答えてみたい気がする。自分の場合は、労働が嫌いで、快楽に浸っていたい、という恥ずかしい理由が、浮かんでくるのがいまのところ。
クライミングジムから、用賀に移動して、次の作品を返却しにいった。古くからの友人で、空き家プロジェクトに興味を持っているので、その話しで盛り上がった。プロジェクトの要は、彼のような人間が参加できる環境をつくることだ。プロジェクトのゴールを段階的に設定してクリアしていくこと。また、魅力ある人間が関わっていくことで場所は、呼吸をするように、再生していくはずだ。手を上げる人間に機会を与える。

Sarasaと、最近は、行動にするひとが少ないと話した。ネットの情報を拾って「いいね」となるが、実際に足を運んだり買ったりすることが少ないと。これはマーケティングの話しだ。
たった2曲でオーディエンスの心を掴むDJのような、パンチ力が必要だ。例えば新しい作品を誰かに見せたとき、その魅力に抵抗できない魔法のような、その力は、マーケティングという意味では、自分が考えるより、もっと強烈なチカラで放たなければ伝わらないのかもしれない。それは事件だ。事件を伝えるのが報道。芸術が起こした事故を報道して事件にすること。それが今日みつけた技術だ。それは、毎日の仔細な出来事を引用し編集するヒップホップでもある。

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