檻之
汰鷲
ORINOTAWASHI

芸術とは何か

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芸術とは何か。そんな哲学とも言える命題について閃きを得た。インスピレーション。どこから湧いてきたのか、ぼくは、いま今週末の展示のために、朝から寝るまで作品をつくっている。パピエマシェで動物をつくっている。動物を締切に追われてつくっていると、神様の気分になった。神様は7日でこの世界をつくったと伝えられている。

「おーい、水を流すぞー。」神様は言った。
「いま待て!まだ地上が完成してないんだよ!」
神様には実体がなく、それは全体のこと。だからあちこちに神様はいる。分業してこの世界をつくっていたんだと思う。
「でも締切に間に合わないから流すぞ―!」そうやって海に覆われた。そうやって、大慌てで、神様は動物やら人やらをつくった。だと思う。人はこのうえなく未完成で、きっと神様も困ったんだと思う。「人間」という文字の「間」は、地獄と天国の間の地上であり、人と人の間であり、それは社会を意味するそうだ。つまり、人間とは、ひとりのヒトを指す言葉ではない。

ぼくは、どうした訳か、何かをつくりたくて仕方がない。分析すれば、それは病気と言われるほど、会社には行きたくない。想像の世界に没頭していたい。それが本音。嫁のチフミと作品をつくるようになって、その状況を理解してくれ、付き合ってくれるなんて、ほんとうに感謝だ。常識で言えば、ロクデナシの甲斐性なしだ。それでも、ぼくはつくることを止めない。なんでなのか。

いまは、昨年旅をしてきた体験をまとめた本を出版しようとしている。本は書きあがっていて、出版社と編集者を探している。フリーの編集者のひとに紹介してもらい、あと1歩というところ、来週の水曜日に打ち合わせがある。なんでぼくは本を出したいのか。それは伝えたいことがあるから。何を伝えたいのか。ぼくは、日本の現代社会が、歪んでいるようにみえる。その違和感は、子供のころからあった。それは、成長する過程で、抜かれるべき杭だ。でも ぼくは、その杭をずっと心のなかで守ってきた。2011年3月に東日本大震災があって日本の社会にヒビが入った。そのヒビから、自分が感じてきた違和感が間違っていなかったことを確信した。社会はデタラメだ。だからと言って、ぼくはヒッピーになりたい訳じゃない。社会と向き合って生きていきたい。でも、それは会社で働くという選択肢ではなかった。

最近、「どう?何しているの?」「作品つくっている。」「いいねー、自由で。」と会話する。作品をつくるアーティストであること=現実逃避。という図式からくるイメージの会話だ。でもぼくは、現実から1歩も逃げずに背中をみせずに毎日挑んでる。現実は、ぼくが生きているこの瞬間のことだ。

動物を削っていてふと思った。ニュースって何だ?夕方に見たテレビのニュースがあまりにくだらなく消したことを思い出した。テレビのニュースも誰かが見たり聞いたことを編集したものだ。そういう意味では過去のものだ。映画も本もみんな過去だ。もっとも新しい現在とは、いま自分が見ている体験している、そこにしかない。もし、そこがツマラナイ退屈なものであれば、変えるべきだ。ぼくのアーティスト名、檻之汰鷲(おりのたわし)とはそういう意味だ。ぼくらは日常という檻のなかに暮らしている。しかし、つくることでその現実は変えていける。現実をつくり変えることで、ぼくらは大空の鷲のように自由に羽ばたくことができる。

ぼくは、昔からの仲間とバンド活動をしているNOINONEだ。決して上手いとも言えないし、妙な音楽だし、でも素直に感じるがままにつくってきたNOINONEのサウンドが好きだ。真似するより、つくる衝動が優先した音楽。それはオリジナリティーだ。でも、ぼくはバンドでなにを表現したいのか、たまに考える。ぼくは、伝えたい。「生きる」とは、脇役になることではなく、自分がその人生の主役になること。自分を意のままに操ること。君が君を信じないで誰が君を信じるのか。そのメッセージを伝えるために、曲をつくり、ステージで完璧に演奏するためにリハーサルをしているのか。そうではない。

ぼくは、作品をつくり、本を書き、音楽活動をして、なにをしようとしているのか。ぼくは生きる芸術というコンセプトで何を伝えたいのか。それは、「つくる」ということだ。誰もが、自分の意のままに「つくる」ことができる。その1点に於いて、生きる芸術が実現される。料理をつくる。野菜をつくる。恋人をつくる。子供をつくる。家をつくる。服をつくる。その「つくる」と対になっているのが「感じる」ことだ。感情を動かくこと。感動。ぼくは表現することで、感動を伝えたい。感動するということは、何も変えがたい価値がある。

ワークショップで初めて色を塗った子供がいた。その子は翌朝、起きてすぐ自分の手に色を塗り始めたそうだ。その子は、色を塗って心が動いたんだ。作品をつくって、それが何なのか。そこに感動があるべきだ。だから音楽をやるのも、いい音楽をつくるのではなく、感動を起こして、そこにいるひとの人生を鼓舞したい。ぼくにとっての芸術は、感動なんだ。それを知って涙が出た。

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