檻之
汰鷲
ORINOTAWASHI

生きていくことは起業すること

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

「改めて」とは大切なこと。常に成長しているから、何度でも改めてこそ、そこに今が現れる。改めて、ぼくがなにをしようとしているのか書いてみたい。ぼくは、2011年の東日本大震災をきっかけに、自分生き方について考え直した。いままでと同じようなやり方では、未来がみえてこなかった。だったら自分でつくるしかない、と考えた。そこで、世界中のひとがどんな暮らしをしているのか旅してみた。その時のキーワードは「アート」だった。「アート」を表現することで生きていきたいと考えていた。しかし、ぼくが心を惹かれたものはアートではなかった。バルセロナでは、倉庫を改造してクリエイターがシェアする空間を作り出していた。あるアーティストは、ボートをつくっていた。ザンビアではこれまでぼくが考えていたような「アート」を必要としている人なんていなくて、毎日の糧を求めていた。ぼくが興味を持っていたのは「アート」ではなく、「生きていくこと」だった。だから旅を終えて自分の追求するコンセプトを「生きる芸術」とした。

さて「生き方」をつくると言っても、それこそ自由だ。レシピはたくさんある。ぼくはヒネクレた性格をしているので、既にある枠にハマりたくない。と言っても革命的に新しい生き方をつくろうとも思わない。自分の興味の向くままに、生き方を編集している。まずは「お金」。これを手に入れるには、誰かから受け取らなければならない。ぼくの場合は「作品をつくって売る」ことがもっともシンプルな収入を得る方法だ。まず、それを試みている。10月に個展をやってオークションを開き、その時に収入を得ることができた。facebookやtwitterを通じて売れた作品もある。いまを生き延びることができる収入にかろうじてなっている。でもぼくは妻と2人で活動している。とてもこれだけでは生きていけない。あまりに不安だ。そこで、こう考えてみることにした。ぼくは起業した、と。

自分の持っている「モノ・コト・スキル」に価値をつくること。それがぼくにとっての起業だ。「価値をつくること」は、この経済社会のなかで評価を得ることだ。その金額が社会に必要とされるレベルを示しているとも言える。だから収入が低かったり、会社勤めをしていないと評価されない風習はここから来ている(と推測する)。そうなってくると、僕自身が一体、どんなことをして社会に参加しようとしているのか、そこを明確にしなければ誰も対価を支払うことはできない、というこに気がついた。

ぼくができることは、平面のコラージュ作品をつくること。その作品は空間を飾ることができる。ヨーロッパとアフリカ大陸を旅してきたので地球的な感覚がある。技術的な感覚と直感の混ざった、素朴でポジティブな作品だと自分では思っている。この箇所をもっと拡張していくべきだと書きながら気がついた。この創作活動の価値を伝え、評価を得てくこと。これは簡単な仕事ではない。すぐにお金にもならない。でも、ここがもっとも芸術的な表現活動でもある。

先日の展示で、犬のパピエマシェ(張り子の人形)を発表したところ、とても好評だった。なので7種類の動物を制作した。すでに2つ売れて2つ予約が入っている。これは作家のクリエイティブを反映させる創作活動よりもっとポップなものづくりだ。ぼくは喜ばれる作品をつくることが自分も楽しい。この方向性は、商品としての価値を伝えやすい。しかし、モノとしてのカタチがはっきりしているだけに値段を決めることが難しい。制作にかかる日数や手間を考えるとどうしても1体が3万円ぐらいしてしまう。それでも買う人をみつけることがやらなければならないことだ。もちろん、お店に卸したらもっと高くなってしまうが。

ぼくがエジプトに滞在したときに、エジプトの人たちが、どんな理想の暮らしを求めているのか、アンケートしてそれを作品にした。ぼくは、その手法を「社会彫刻」と名付けた。ヨーゼフ・ボイスが用いた手法だ。アートや芸術には、すでにあるカタチを取りだしたり、並べ替えたり、削りだしたりする手法がある。社会に対してそういう技法を用いることで、社会をカタチとして表すのが、ぼくの考える「社会彫刻」だ。
ザンビアで泥の家を建てて、日本でも自分で家を建ててみたいと考えるようになった。そこで日本に820万戸もある空き家に注目した。地方は過疎が進み空き家が増えて社会問題になっている。空き家を再生して人が流れていけば、その問題の打開策になる。もちろん、空き家問題への取り組みなんて、新しい手法でもないし、あちこちでやっている。だからと言って、やらない理由はない。それぞれの動機があるのだから。それだけで充分違う過程と結果を生み出すことになる。前例はたくさんあった方がいい。
ぼくは空き家を改修して木工の技術を身につけたい。その技術でボートをつくりたい。日本はこんな島国で海に囲まれているのに、ボート文化が失われている。あるのは、せいぜい屋形船や公園のボートだ。しかし、かつては、自転車のようにボートは生活のなかにあったはずだ。それにボートは人類でもっとも古い乗り物なんじゃないだろうか。ボートをつくりボートのある暮らしをしてみれば、そこから見える失われた生活きっとあるはずだ(すべて直感)。

去年、よし!アートで生きていくぞ、となんのコネクションもないなかスタートした夫婦のアート活動は現時点ではこんな状況なっている。という訳で近くパピエマシェの動物シリーズの展示「動物園」をやります。ぜひ買ってください。来年の春には愛知県の津島市に引っ越して空き家の改修とアトリエづくりがスタートする。制作環境は整う予定だから、制作のオーダーやネットワークを集めておかなければならない。こうやって営業という行為が必要になってくる。という訳でご興味ある方は、ぜひ会ってください。そして一緒に仕事しましょう。ビジネスをつくり出すことも「生きる芸術」です。きっと、こうやって当たり前の生活を愉しく工夫して生きていくことが、「生きる芸術」だという結論になりそうで笑えます。オマエ何もつくってないぞ、みたいな話ですが。
檻之汰鷲(おりのたわし)2014.11.23

お金を生むために「つくること」「伝えること」

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

昨日、友達と飲みにいった。作品をオーダーしてくれている。ぼくは作品をつくって生きていくことにした。作品をつくってと言っても、アート作品だけが作品ではない。ぼくのコンセプトは「生きる芸術」だから生き方に関わることはすべて作品だ。ギリギリの状況ではあるが、作品を売ってお金をつくっている。つまりは自営業だ。取引先をみつけて仕事をする。いろんなお金のつくり方がある。会社に通って給料をもらう。アルバイトをして時間と引き換えにお金を獲る。考えるほど、この社会はお金に支配されている。お金は万能な道具だから仕方がない。だからこそ、お金の本質と向き合うために、ぼくは「お金をつくる」ことに固執している。
生きていくために必要なこと:
食事


制作費
パソコン
携帯
インターネット
交通費
税金
これをカバーするために、どれだけ働かなければならないのか。どれだけ消費を刺激して利益を得なければならいのか。お金をつくる方法については、この時代だからこそ、選択肢はたくさんある。もっともシンプルに言えば「つくること」「伝えること」だと考えている。ぼくは作品をつくって、それを伝える。その作品に価値があれば、そこに対価が生まれる。いまは、その作業をしている。しかし、これだけでは、到底生きていけるほどのお金をつくるこができない。いや、生きていくことはできても、社会的な責任を果たすことができない。ぼくは雇用を生み出すことを自分のアート活動の目標にしている。それにはシステムを構築しなければならない。絵などのアート作品が1点しかないのに対して、メディアになれば、それはコピーされて増殖する。印刷や本や映像などがそれだ。例えばぼくが本を出版したいのも「伝えること」を効果的に実現するためだし、書籍に拘るのは1点1点の実体を大切に思うからだ。
空き家を探してみつけた津島の長屋も場所をつくるという表現行為だ。バルセロナでは倉庫を改造してアーティストが空間をシェアしていた。それをみて場所をつくることにアートを感じた。ぼくは当たり前のことに感動してしまう。なぜなら、それを忘れてしまっているから。東京や日本で暮らすことは、あまりに、たくさんことが用意されていて、それがあることが当たり前になってしまっている。失って始めて、その大切さを身を持って感じる。ぼくのやっていることに対して、新しさを求める人がいた。それは既に誰かがやっている、と。誰かがやっていることをやらないのだとしたら、ぼくは1歩も前に進めなくなってしまう。求めるものは人それぞれ違うからこそ、世界は豊かになる。むしろ、ぼくはなにも考えずに、直感と閃きに突き動かされていたい。
ただ、こんな贅沢に人生を実験できるのも、これまで働いてきた蓄えがあるからだ。数年に以内にこの状況を変えなければ、理想も語れなくなるだろう。でも、突然、成功という状況が目の前に現れてそれが続くわけでもなく、ひとつひとつの積み重ねが、いまの状況をつくっているわけで、やるべきことをみつけて確実にやっていく、それをやることがサバイバルする秘訣だ。考え、手を休めることなく、失うことを恐れず、行動し続けることだ。そして、ひとに出会い続けることだ。どこかにぼくを理解してくれ、一緒に冒険してくれる仲間がいるはずだ。旅から帰ってきて、たくさんの仲間に助けられて、ここにいる。もう駄目だ、なんて思うこともなく、少しづつ可能性を感じて生きることができている。自分の生を削って生きているからこそ、感謝の気持ちが沸いていくるんだと思う。

さて今日も作品をつくらなければ、明日の飯が食えなくなる。

社会彫刻としてのアート

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

何度も繰り返し、更新していくことにチャレンジする意義がある。いま空村(そらむら)という空き家を再生するプロジェクトに参加している。発端は、ザンビアで家を建てたので、日本で家を自分で建てたい、という想いだった。調べてみれば、日本には空き家820万戸もある。一体、どれだけの数の家が余っているんだろうか。家を自分で建てる目的には、木工の技術を習得する目標もある。それはボートをつくるためだ。ぼくの目的はシンプルだ。ボートをつくるために木工の技術を習得したい。空き家を修理して住めるようになれば、家に困らないし、ボートもつくれるようになるだろう。

だから、ぼくは「空き家を修理して住みたい。アトリエにしたい」といろんな人に相談した。インターネットで調べる情報は既に商品やサービスになっている。だから、情報になる前の原石をみつけなければならなかった。情報になる前の出来事を育て伝えることが価値をつくることにもなる。ぼくの前に現れた空き家は、愛知県津島市にあった。そこが何処だか見当もつかない。でも、自分が何も知らないことこ、インターネットで検索して魅力的な情報がないことも、とても重要なポイントだ。それと直感。ぼくはこの家を下見にいって、とても素晴らしい物件だと感じた。ただそれだけだ。

このプロジェクトには仲間がいる。空き家の話をするうちに出会った、この機会をつくってくれた柚木さん。彼は小学校の3年間、ブラジルで過ごし、日本に帰国して、日本の社会に狭苦しさを感じた。その想いが、画一的ではない、個性を十分に伸ばせるような場所をつくりたい、という想いなっていた。柚木さんは、その想いをこの空き家で実現しようと考えている。木造建築家の鳥羽さんは、名古屋の出身で、津島の近くにおばあちゃんが住んでいた。津島という辺鄙な場所を活性化すること、築80年の空き家を木造建築の技術を生かして再生することをモチベーションにしている。もうひとりの建築家の米澤さんは、大学の講師をやりながら、建築事務所を運営し、名古屋で知られた存在だ。彼は、建築という専門的な領域を一般的なひとが利用しやすいように、クリストファーアレキサンダーの「パターンランゲージ」引用して、家の構造をカタログ化して提供したいといアイディアを持っている。

もしこれがビジネスであれば、目的はただひとつ利益をあげることに集約される。しかし、これは夢を叶える、やりたいことを実現・実験するプロジェクトに成長しようとしている。それは各々が、自分の想いに素直に動いている結果だと思う。そのおかげで、プロジェクトは、急成長している。

この週末名古屋市と津島市をまわってプロジェクトの説明と挨拶をした。挨拶といっても知り合いはいないので、名古屋市はインターネットで調べて、気になる人に会った。長者町アーティストインレジデンスに行き話をしてみると、ここがあいちトリエンナーレの始まりの地だということが分かった。実は、愛知に引っ越すのであれば、ぜひ、この祭典にエントリーしたいと企んでいたところだった。話した相手は、そのプロジェクトのひとりだった。つまり、簡単にそのコネクションができた。

もう1件、築100年の古民家を改修してカフェとギャラリーをやっている大井さんという方にお話を聞いた。大井さんは、アートというジャンルのなかで、表現することの限界を嘆いていた。「作家が絵を描いて、それだけいいのだろうか。もっと何ができるか考えて、社会に関わっていくべきなのではないか。」とても共感できる話ばかりだった。大井さんが嘆くほど、アートに想いを持っていることが伝わってきた。

津島市では駅前の商店街で話をきいた。ここはインターネットではなく、興味あるお店の方と直接話してみた。すると、空きスペースを探しているひとがたくさんいる、というのだ。ぼくは、東京にいて偶然出会った物件を運用することを考えていて、地元には、空きスペースがないと、探している人がいる。こんなアンバランスなことになっているのが現実だった。欲しいものを探しても、どんなに身近にあっても手に入らない。それはまったく思いがけない経路辿ってやってくる。なんという現象だろう。これは発見だ。これを表す言葉をみつけたい。

ぼくの空き家を巡る冒険は、現実のもとしてカタチになりつつある。津島市のひとたちは、こうした行動をしなければと感じていて、外側から介入する人間を待っていたようだった。ある人は、まさにいま、そういう風が吹いています。その風にのってやってきた話です。すべてはタイミングなんですね、と。

ぼくは去年からアートや芸術の役割について考えてきた。自分の感じるがままにカテゴリーを勝手に拡大して、行動し表現してきた。想いをカタチにして社会と関わるような行動をアートとして、発表したいと考えるようになっている。社会の歪みのなかに、落ちていく現実を、それぞれの想いや夢をカタチにすることで、また別の可能性へと変換していく、これこそまさに、ぼくがやりたい社会彫刻だ。もちろん発表するのは、2016年、あいちトリエンナーレだ。ぼくは、失敗なんてなんとも思わない。その過程で得るたくさんの経験や出来事や出会いにこそ価値があるから。

(2014.11.12)

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

生きているのか。出版編集者と打ち合わせをした。出版社とするのは始めてだった。いつも本を出すための打ち合わせは難しい。先にマーケットがあるからだ。売れなければ出す意味がない。編集の加藤さんは、ぼくの本が不思議な立ち位置だと言う。なるほど作品集でもないし、作品を見せるためには、文章が邪魔なようだし。なにを伝えたいのか、そして誰がこの本買うのか。マーケットをイメージしようとしているのがわかった。これはビジネスだ。商売の取引をしていた。

ぼくが書いた本は、アートの本ではない。これは人生論だ。しかも無名の作家が書いた。だれでも読める本だし、誰もに当てはまる当たり前のことが書いてある。ぼくたちはたくさんの当たり前を忘れながら生きている。そういう思考や言葉が必要ない、と言われてしまえば、それまでだ。通常、本を出すには前回の実績をベースに受注が決まる。それでは初めての人が本を出す機会がなくなる。この出版社は、その出版の常識をのりこえて本を出している。加藤さんは、本に鋭角なエッジが必要だと言った。それはこれまでにないジャンルであること。だから切り返した。作品集と文章がひとつになっている本は、なかなかないです、と。また、ぼくは夫婦で活動するという普遍的な個性を持っている、と。ぼくにとっては刺激的で心地のよい打ち合わせだった。気がつかないポイントを突かれて焦ったり、また、自分の思いを伝えるために言葉を返したり。

打ち合わせは結局、本の内容次第、ということに落ち着いた。文章のチカラだ、と。確かに、どんなに策を弄したところで本質は変わらない。書き直したところで、その種は同じだ。だから、清々しい気分で本を加藤さんに託してきた。そういう気分だから、決闘を終えたみたいだ。五輪書を思い出した。いつだって真剣勝負の命の遣り取りだ。

絵を返却するために家に帰り、代官山で絵を渡して、20時の飲み会まで時間があったので代官山TSUTAYAにいって、いろんな本を眺めた。次はOneness Meetingというパーティーのデコレーションを頼まれているので、そのアイディアが膨らんだ。布を何重にも被るパンクな衣装をつくろう。身に付けるデコレーション。身体感覚を取り戻す。踊るひとのカタチのなかに現れるコラージュ。

あの本がなんなのか。あの本は「生きる芸術」を表した作品だ。それこそがアートで、それ以外にぼくには答えが見当たらない。今日、歩きながら浮かんできた。ぼくは生きるということに全力で挑んでいなかった、という思い。だから、やってみる。生きるとは目の前にある現実をつくること。それは命が何処で終わるのか、その道をつくることだ。

どうにもすべて / NOINONE

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

晴雨風
風雨荒れ
季節は変わり
泣くなよ

どうなることでなくても
風が吹けば変わるさ
また明日には晴れるさ

どうにもすべてが回るさ

晴れ雨風
季節は
どうでもいいし
変わるさ

晴れた空の心には
月がうえに輝く

どうなることでなくても
風が吹けば変わるさ
また明日にはやれるさ

どうにもすべてが変わるさ

晴れ雨風
季節は、どうでもいいし
回るさ

晴れ



どうでもいいし
変わるさ

どうにも
どうにもすべてが

Lyrics

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

”I”を線で書く
音見る
聴く描く
数学
脳天の波間に

6が9に見えるなら
騙すだけのシステム
駄目でもともと
諦めるなんてなくて

今ここ


ただ感じる
言葉を並べて明日へと送る
リズムにリズム

脳を捨て
ただ感じて動く
限界を超え
トラブルつくる
ここに遊べ

Fight for your right
だから己のために戦い
Don’t Believe the hype
流れに流されることなく
you can make it if you try
やれ!やれ!やれ!
Kick out the jams mother fucker
デタラメ糞最高
Get up stand up don’t give up the fight
6が9になれば
ここすべての始まり
忘れるな
Smells like teen sprits
ここで感じるがままに

「6が9なら/NOINONE」

(2014.11.10)

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

週末は中野新橋の商店街のイベント行灯祭に出展した。ワークショップとこの日のためにつくってきたパピエ・マシェでつくった動物を展示した。やるべきことは、シンプルでたくさんのひとに見てもらい、作品を「欲しい」と言ってくれる人をみつけることだ。商店街なので、どんな人が来るのか、想像してみる。ギャラリーのようにアートに関心興味があるひとだけではない、そういうひとたちにどうやってアートを届けるのか、それが最近のテーマでもある。

ワークショップは、日本語にすると「働くお店」。働くのにお金を支払う。次出来るなら、例えばワークショップの参加費は200円で、つくったものを出展して売れるとかであれば、働くお店かもしれない。実際、ワークショップで作品をつくるのではなく、その作品が欲しいという老人もいた。今回のワークショップは「木で鳥と星をつくろう」。

2日間展示して、合計で1万5000円くらいにはなった。まったく縁もない、この商店街で作品が売れて、勇気を貰ったし、まだやれると思った。日曜日は、自分は、最近付き合いのある水天宮のSLB(ソーシャルビジネスラボ)で旅についての交流会に参加してトークをした。話すこと伝えることも重要な活動のひとつ。本を書いて出版したいのも同じ目的だ。ぼくは、「つくる」「伝える」
を2つの柱にしている。トークするのは、旅の途中でやるようになって、酷い(笑)英語で、イタリアとモロッコでやった。それに比べれば、日本語で喋るのは、難しいことではない。昨日バンドのリハーサルで、仲間に作品のクオリティーをもっと高くした方がいい、と言われた。確かにそうだ。人前で話をすることはできるが、そのクオリティーも重要だ。

旅の話をすると言っても、ぼくは旅をたくさんしている訳ではない。去年、世界のひとたちがどんな暮らしをしてどんな生き方をしているのか、知るために旅をしただけだ。それを旅が好きなひとたちの前でするのは、少々気恥ずかしさもあった。でも、表現すること、伝えるということは、自分がどれだけすごいことをしているかを発表するのではなく、自分でも、こんなことができたから、きっともっといろんな可能性がある、と伝えたい。今思えば、そういう方向に話を結べばよかったかもしれない。

結局、話をしてみて、どうして旅を始めたのか、旅のなかで考えた価値について、観光ではなく、人との出会いを求めること、この3つが大きなテーマになった。話をするのは、こうやって文章を書くこととリンクしていて、頭の中から、イメージを取り出す作業でこれも慣れだ。書くことも、話すことも、つくることも、全部同じ表現方法でやっている。

ほかの人の話をきいて、おもしろかったのは、タイでゾウ使いの免許を取った話。これはまんまで、そのこと行為自体が面白い。10代の後半から旅をして、全大陸を陸路で制覇した人もいた。彼は、ヨットで大西洋を横断する計画をしているそうだ。それはもう本物の冒険者だ。ぼくも冒険を続けたい。ゾウ使いの免許を取った人が、旅とは「トラブルに飛び込むこと」だ、と言っていた。何が起こるか分からないことを恐れない、そのことを楽しむことだ、と。これは、最近のテーマにもなっているので、とても共感した。

トークが終わって、中野新橋にいくとチフミがワークショップをやっていた。今日はどうだった、と聞くと、「おばあちゃんが、さっき展示にきて、動物が可愛いと撫でていったよ。とくにライオンと猫が好きだって。つい最近、旦那を亡くしてさみしくて、この動物たちをみたら元気が出たって。だから、ライオンをプレゼントしたくなったんだけど、我慢して鳥をあげたんだ。そしたら、泣いて喜んでくれて。」その話を聞いて、展示をやってよかったと思った。話を聞きながら、作品が売れたという展開になるかと期待したけど。でも、そのすぐ後で、ライオンが欲しいという人が現れた。まさかのライオンは売れて、チフミはライオンに「よかったね。よかったね。」と話しかけていて、暖かい気持ちになった。

10月の代官山での個展からの連続した活動が一段落して、次の展開は始まる。と言っても、同じように作品をつくって、それをひとに伝えていくことには変わらない。ぼくの部屋の壁には、今年の目標「(1)作品を売る方法システムをつくること」「(2)本を出版すること」「(3)アトリエをつくること」の3つが貼ってある。週末は、その(1)と(2)を実践することができた。まだまだやれます。

芸術とは何か

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

芸術とは何か。そんな哲学とも言える命題について閃きを得た。インスピレーション。どこから湧いてきたのか、ぼくは、いま今週末の展示のために、朝から寝るまで作品をつくっている。パピエマシェで動物をつくっている。動物を締切に追われてつくっていると、神様の気分になった。神様は7日でこの世界をつくったと伝えられている。

「おーい、水を流すぞー。」神様は言った。
「いま待て!まだ地上が完成してないんだよ!」
神様には実体がなく、それは全体のこと。だからあちこちに神様はいる。分業してこの世界をつくっていたんだと思う。
「でも締切に間に合わないから流すぞ―!」そうやって海に覆われた。そうやって、大慌てで、神様は動物やら人やらをつくった。だと思う。人はこのうえなく未完成で、きっと神様も困ったんだと思う。「人間」という文字の「間」は、地獄と天国の間の地上であり、人と人の間であり、それは社会を意味するそうだ。つまり、人間とは、ひとりのヒトを指す言葉ではない。

ぼくは、どうした訳か、何かをつくりたくて仕方がない。分析すれば、それは病気と言われるほど、会社には行きたくない。想像の世界に没頭していたい。それが本音。嫁のチフミと作品をつくるようになって、その状況を理解してくれ、付き合ってくれるなんて、ほんとうに感謝だ。常識で言えば、ロクデナシの甲斐性なしだ。それでも、ぼくはつくることを止めない。なんでなのか。

いまは、昨年旅をしてきた体験をまとめた本を出版しようとしている。本は書きあがっていて、出版社と編集者を探している。フリーの編集者のひとに紹介してもらい、あと1歩というところ、来週の水曜日に打ち合わせがある。なんでぼくは本を出したいのか。それは伝えたいことがあるから。何を伝えたいのか。ぼくは、日本の現代社会が、歪んでいるようにみえる。その違和感は、子供のころからあった。それは、成長する過程で、抜かれるべき杭だ。でも ぼくは、その杭をずっと心のなかで守ってきた。2011年3月に東日本大震災があって日本の社会にヒビが入った。そのヒビから、自分が感じてきた違和感が間違っていなかったことを確信した。社会はデタラメだ。だからと言って、ぼくはヒッピーになりたい訳じゃない。社会と向き合って生きていきたい。でも、それは会社で働くという選択肢ではなかった。

最近、「どう?何しているの?」「作品つくっている。」「いいねー、自由で。」と会話する。作品をつくるアーティストであること=現実逃避。という図式からくるイメージの会話だ。でもぼくは、現実から1歩も逃げずに背中をみせずに毎日挑んでる。現実は、ぼくが生きているこの瞬間のことだ。

動物を削っていてふと思った。ニュースって何だ?夕方に見たテレビのニュースがあまりにくだらなく消したことを思い出した。テレビのニュースも誰かが見たり聞いたことを編集したものだ。そういう意味では過去のものだ。映画も本もみんな過去だ。もっとも新しい現在とは、いま自分が見ている体験している、そこにしかない。もし、そこがツマラナイ退屈なものであれば、変えるべきだ。ぼくのアーティスト名、檻之汰鷲(おりのたわし)とはそういう意味だ。ぼくらは日常という檻のなかに暮らしている。しかし、つくることでその現実は変えていける。現実をつくり変えることで、ぼくらは大空の鷲のように自由に羽ばたくことができる。

ぼくは、昔からの仲間とバンド活動をしているNOINONEだ。決して上手いとも言えないし、妙な音楽だし、でも素直に感じるがままにつくってきたNOINONEのサウンドが好きだ。真似するより、つくる衝動が優先した音楽。それはオリジナリティーだ。でも、ぼくはバンドでなにを表現したいのか、たまに考える。ぼくは、伝えたい。「生きる」とは、脇役になることではなく、自分がその人生の主役になること。自分を意のままに操ること。君が君を信じないで誰が君を信じるのか。そのメッセージを伝えるために、曲をつくり、ステージで完璧に演奏するためにリハーサルをしているのか。そうではない。

ぼくは、作品をつくり、本を書き、音楽活動をして、なにをしようとしているのか。ぼくは生きる芸術というコンセプトで何を伝えたいのか。それは、「つくる」ということだ。誰もが、自分の意のままに「つくる」ことができる。その1点に於いて、生きる芸術が実現される。料理をつくる。野菜をつくる。恋人をつくる。子供をつくる。家をつくる。服をつくる。その「つくる」と対になっているのが「感じる」ことだ。感情を動かくこと。感動。ぼくは表現することで、感動を伝えたい。感動するということは、何も変えがたい価値がある。

ワークショップで初めて色を塗った子供がいた。その子は翌朝、起きてすぐ自分の手に色を塗り始めたそうだ。その子は、色を塗って心が動いたんだ。作品をつくって、それが何なのか。そこに感動があるべきだ。だから音楽をやるのも、いい音楽をつくるのではなく、感動を起こして、そこにいるひとの人生を鼓舞したい。ぼくにとっての芸術は、感動なんだ。それを知って涙が出た。

ひかり祭り

Weblog

コメントはまだありません


Share this post







やったことないことをやる。

Weblog

コメントはまだありません


Share this post

週末は、ひかり祭りに参加して、サバイバル・アートを実践し、少しの道具だけで、何をやるかと材料はすべて現地調達のアート制作に挑戦した。下見のときに、木工所をみつけたので、そこに行って、事情を話すと快く、端材を分けてくれた。捨てる予定で山になっている端材は、材料がひとつもなかったぼくらにとっては宝物にみえた。宝の山を漁ると、変なカタチの木が発掘された。それをどうするのか、イマイチ分からないまま、選び籠を借りて、担いで会場まで歩いた。道のりは15分。しかし、木の山を担いで、気が遠くなっていると、会場に向かう人が、車に乗せてくれた。ラッキー。

会場について、どうする? とチフミと話しながら、来る途中に、折れた生木があったことを想い出し、それをピックアップしにいった。気になるカタチの端材を壁に吊り下げ、生木に端材で枝をつけて展示した。さてどうするか、と考えて、ワークショップを開くことにした。内容は、木で遊ぶ。チフミが予め考えていた。鳥と星をつくるのが主なメニュー。開店し、やってみようと、作業を始めると、子供たちが集まってくる。「なにやってるの?」「鳥をつくっているんだよ。」「やってみる?」「うん。」

子供たちは、どんどん増えていくので、好きな端材を選んで、色を塗ろうというメニューに変更。子供たちは、端材を選んでいく。釘を打って繋げたり、のこぎりで切ったり。そのうちに、ひとり大人がやってきて、やってみたい、と。木に紙やすりをかけるところからスタートすると、研磨が趣味らしく、木をどんどん綺麗に磨いていく。ぼくらもやったことなかった未知の領域。子供たちは、それをみて、みんな木を磨きたい、と言い出す。文化が生まれた。

12歳の男の子は、のこぎりも初体験で挑戦したり。小さな女の子は興味を持って始めたが、色を塗るのは初体験でドキドキ。でもやっているうちに夢中になって。2日目もまた色を塗りにきてくれた。お父さんが言うには、昨日色を塗ったのがよっぽど楽しかったらしく、朝起きると、自分の指をペンで塗っていたとか。

やったことないことをもっとやろう、と子供から学んだ週末でした。